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祇園の飴屋さん【するがや祇園下里】
桜貝のぶらり京都たび ~京都再発見~ 見るからに古風な外観。寛政2年(1461年)創業の老舗菓子「総本家駿河屋」から文政元年(1818)にのれん分けした店だ。代々伝わる煉羊羹や生菓子の技を受け継ぐ飴菓子は「和菓子屋の飴」と して、風流人に愛される。明...
Updated Date : 2018-02-15 10:02:22
Author ✎ 京都再発見
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昔懐かしい味の飴
するがや祇園下里
見るからに古風な外観。 寛政2年(1461年)創業の老舗菓子「総本家駿河屋」から文政元年(1818)にのれん分けした店だ。 代々伝わる煉羊羹や生菓子の技を受け継ぐ飴菓子は「和菓子屋の飴」と して、風流人に愛される。 明治27年に屋号を「祗園駿河屋」から「するがや祗園下里」と変更し「豆平糖」と大書した屋根看板を掲げた。 駿河屋の、のれん分けは京都に8軒ほどあるが、平仮名書きは当店のみ。 日露戦争中に、看板商品の「大つつ」を生み出した。 モチーフは大砲(生姜と黒砂糖を煎餅で巻いたもの)。 当店の秘伝の蜜や黒糖を原料とする飴は、舞妓や役者などの玄人筋にも好評。 特に”大つつ”は藤山寛美の好物だった。 いつも楽屋には欠かさず置いていた由。 娘の藤山直美さんも懐かしい甘さについてのエッセイを書いているそうだ。 その他では豆平糖(丹念に炒った香ばしい大豆を入れ棒状に整えた飴)、あめ湯、京ぜんざいなどもある。 撮影日時 : 2018年2月14日

するがや祇園下里
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