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小説「未だ本能寺にあり」ゆかりのスポット~ 『本能寺跡及び南蛮寺跡』
なかなかに興味深いのが京都新聞の連載小説「未だ本能寺にあり」(今村翔吾作)。ただいま佳境を迎えつつあるので、物語に登場するゆかりの地の最新の写真をお届けしたい(撮影日は全て2026年2月14日)。
Updated Date : 2026-02-18 23:28:03
Author ✎ 京都再発見
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本能寺跡
「中京区油小路通蛸薬師下る東側(本能特別養護老人ホーム前)」に 1994(平成6年)4月、宗祖日蓮大聖人開宗七百五十年の記念として、大本山本能寺第136世日攝(にっしょう)上人により建立される。 「碑文の概要」 この地がかつて法華宗本門流の「本能寺」であったこと。 天正10(1582)年の「本能寺の変」で、織田信長が明智光秀に襲われ自刃・焼失した場所であること。当時の寺域は東西150メートル、南北300メートルに及ぶ広大なものだった。事件後、豊臣秀吉の命令により現在の寺町御池へ移転したことなど。
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「此附近 本能寺址」石碑
「中京区蛸薬師小川通西南角」 発掘調査で、本能寺の南東隅が判明し、上記の地に新しい石標が建てられる以前からある石碑。
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南蛮寺跡
「所在地」中京区蛸薬師通室町西入北側(タキカ㈱前) 南蛮寺は,切利支丹寺・伴天連寺等ともいう16世紀後半のキリスト教布教所の俗称。京都の最初の南蛮寺は,永禄12(1543)年この地に建立され、方四町,和風三階建てで『洛中洛外名所扇面図』に描かれている。天正16(1588)年豊臣秀吉の伴天連追放令に伴い破却された。この石標はその跡を示すものである。
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中京区元本能寺南町(本能寺跡)
35.00589563152367
135.75372973456982
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中京区姥柳町(南蛮寺跡)
35.006176363724244
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