日本の名城~『勝竜寺城』~明智光秀ゆかりの城
日本の歴史を知るうえで城の存在は重要な歴史的存在である。
いにしえの歴史を紐解いてみるうえでも興味深い、奥深いものがある。
北から南まで大小の城を歩くことを今後の課題としていこう。
Updated Date : 2022-05-01 11:14:26
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勝竜寺城
京都府長岡京市勝竜寺に所在、南北朝時代から江戸時代初期に存在していた日本の城である。
城名は付近の同名古刹(勝龍寺)に由来する。
安土城に先行する「瓦・石垣・天主」を備えた近世城郭の原点として評価される。
模擬櫓と虎口跡
勝龍寺城の主郭部分は東西120m、南北80mの長方形をしており、東、北側の幅12mの水堀を残している。
また東、西、北の三面には土塁が残っている。
秋のイベント『ガラシャ祭り』
毎年、秋には「ガラシャ祭り」イベントが盛大に開催されるがここ数年のコロナ禍で休止されている。今年は以前のような行事が無事開催されることを願う。
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城内の池で優雅に泳ぐ錦鯉
天正6年、智光秀の娘たま(玉、のちの細川ガラシャ)は、織田信長のすすめにより、勝龍寺城主・細川藤孝(幽斎)の嫡男・忠興(三斎)のもとに輿入れします。婚礼は勝龍寺城で挙げられ、幸せな新婚生活を送ったと言われている。
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沼田丸跡にある井戸跡
わずか4年後の天正10年、「本能寺の変」により主君・織田信長を討った明智光秀は、この勝龍寺城を拠点とし、秀吉を迎え撃つ。
圧倒的な秀吉軍の軍勢を前に、「山崎の戦い」に敗れた光秀は勝龍寺城に退却し、最期の夜をここで過ごす。
夜中のうちに城を脱出し、坂本城へ向かう途上、落ち武者狩りに討たれて絶命。
小栗栖の竹藪の中にはその記述がある。
はかなくも悲しい歴史物語である。
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